綺麗事で生きられる?

時々、


周囲からの支援が手厚すぎて


自立の道を阻害されているように見える方がいる。


職場に病気の理解を求める。


間違ってはいないけど、


障害のある身で、本来なら即戦力になる人材しか雇いたくない企業が雇ってくれているのに、


理解してくれない


と文句を言っているのは違うと思うし、


もっと理解してください


と声を上げることも良いけど、


その前に自分が今の状況でどうしたら自立できるのかを考えたほうが良いと思う。


世の中が変わってくれることに期待しないで。


だって、


経済的支援してくれる身内がいなければ


1人で生きていけない状況なのに。


身内がいることに


あぐらをかいて


文句はたれるど


自立はいつまで経ってもできていないんじゃ


身内がいなくなったときにどうするつもりなんだろう?

危機感ないのだろうか?


と思ってしまう。


放り出されて、無一文となったとき、


場面かんもくで話せないから


と言ってられるのだろうか?


その状況でも話せないなら、


本当に病気かもしれない。


けど、


話せるんでしょ?


と思う。


だって家族とは話せるんだから。


生死が関わる状況で


話せない


なんて人はどれだけいるんだろう??


大人になって就労を考える年になっても


いつまでも手厚くサポートされている人を見ると、


だいぶ余裕のある環境にいる人なんだなぁ…

恵まれているなぁ


と思う反面、


そのサポート、その人のためになっているの?

いつまでも話さないですむ状態をサポートし続けてるだけじゃない?

一生そうやって守ってあげられるの?


と保護者・支援者に対して思う。


つきはなすことも大事じゃない?


ってね。